AFTERWORD

記憶を掘り起こしながら

2020年12月6日

私は小説を3冊書いていて、4作目の題材を探していた。木更津焼きそばの小倉欽一郎氏に相談したところ「性的な引っかかりがあるほうが文学賞を取りやすい」とのアドバイスをいただいた。そのときひらめいたのは「性暴力について書く」ことであった。そこで私は、以下の2冊をアマゾンで買い求めた。


●山本潤(著)「13歳、「私」をなくした私」

13歳から7年間、実の父親から性暴力を受けていた。

中学生だった当時から現在までの苦悩。

消えては現れるトラウマ症状、周りの人たちとの軋轢。

性暴力は一人の女性にどのような影響を残すのか。

約30年にわたる葛藤と再生の記録。


●小林美佳(著)「性犯罪被害にあうということ」

24歳の夏、私は性犯罪被害にあった。

事件をきっかけに変わってしまった両親、恋人、友人との関係。

いまだ被害者への偏見が残る社会。

恐怖のあとにやって来たのは、絶望、そして孤独だった。

実名と顔を出し、被害の実態を自ら克明に記したノンフィクション。


私はこれらの書籍を読んで、被害として受け取る性の厳しさを知った。被害者の精神を破壊してしまう、鋭利な性の刃である。そのときはまだ小説の題材として受け取っていた。何かの衝動を感じても、私にできることはなにもなかった。

それから月日は流れ去り、なんとなくテレビを見ていた。番組では、AV出演強要問題が取り上げられていた。当事者がプライバシーに配慮した形でインタビューを受けていた。番組のあと、私はAV出演強要問題についてWebで検索した。私はその強要された女性のアダルトビデオを発見してしまった。見たいという欲求に勝てなかった。しかし見なければよかったなと思った。そこで私は、以下の本をアマゾンで買い求めた。


●宮本節子(著)「AV出演を強要された彼女たち」

モデルにならないか、とスカウトされ契約書にサイン。

いざ撮影となって現場に行ってみたらAVだった。

嫌だと訴えても、契約不履行で違約金がかかるぞ、親にバラすぞ、と脅される。

仕方なく撮影に応じると、以後、次々に撮影を強要される……。

女性からの生の声を聞き支援するなかで見えてきた、驚くべき実態を報告する。


読んだあと、強い憤りを感じずにはいられなかった。私にできることは何かないだろうか? そんなもの何もないはずなのに。いてもたってもいられなかった。その日、私は企画書を作った。「AV女優の真実」というタイトルだった。しかし、そこから先、どう動いてよいのかわからなかった。友人に相談すると「友達の○○いるじゃん? 元AV女優だよ」と教えてくれた。いや、そういえば、だいぶ前に誰かにそう聞いたことがあった。私は早速、その元AV女優が働いているキャバクラに飲みに行った。もちろん、コネクションを求めてである。しかし、友人は完全に業界から離れていたようで、業界の話をする空気ではなかった。

帰りにほかの客が企画書を見て「もらっていいですか」と聞いてきた。感じからわかった。反社会的勢力の関係者だろう。私が住む街は、そういった関係の事務所が多い場所だった。もしかしたら、私はマークされているかもしれない。私は一種の恐怖を感じ、その企画は、そこで終了した。

それでもまだ、小説が書きたかった。どうしても、女性の隠された世界が書きたかった。つぎに目をつけたのは、性風俗の世界だった。そこで私は、以下の本をアマゾンで買い求めた。


●菜摘ひかる(著)「依存姫」

整形、ホスト、買い物、セックス。過剰と欠落の女たち。

あたしはどうして満たされない?

ホームページへの総アクセス数200万超を記録した菜摘ひかる渾身の処女小説。

●中村 淳彦(著)「日本の風俗嬢」

「そこ」で働く女性は三〇万人以上。

そんな一大産業でありながら、ほとんど表で語られることがないのが性風俗業界だ。

どんな業態があるのか? 濡れ手で粟で儲かるのか?

なぜ女子大生と介護職員が急増しているのか? どのレベルの女性まで就業可能なのか?

成功する女性の条件は? 業界を熟知した著者が、あらゆる疑問に答えながら「自らの意思でポジティブに働く」現代日本の風俗嬢たちのリアルを活写する。


これらの本は、漠然とした性風俗のイメージと、対極のイメージを私に与えた。「自分を底辺だと感じ、ホスト通いで、買い物依存」という漠然とした性風俗のイメージに近いものと「自分に自信を持ち、学校に通い、学費を貯める」という対極のイメージであった。

個人的な印象だし、言い方は悪いが「淫乱な馬鹿」より「真面目な利口」のほうが、性風俗の仕事に向いているだろうと思った。最良のホスピタリティを提供するには、そちらのほうが有利であると考えた。実際、そういう嬢にリピーターはついてくるのだと思った。

私は性風俗をテーマにした小説の取材のため、性風俗店に潜入することに決めた。そこでわたしは、女友達に助言を求めた。私「風俗ってどう思う? そういうところに行く男ってさ」

女友達「たとえば彼氏が行くって言ったら嫌だけど、友達が行くのは気にならないかな。女の子が嫌がることを無理やりやってるとかなら別だけど。風俗は必要だと思う」

翌日、私は性風俗店に行った。後日、私は女友達に感想を述べた。「絵画を鑑賞するような気持ちで行ったんだ。こちらがあちらに影響しないような形で。でも、あたりまえなんだけど、その世界はしっかりと動いていた。俺は俺のまわりの世界だけが動いていると思っていた。でも、この世界に止まっている場所などどこにもなかった」

私はその世界のことを小説にしよう。そう決意した。


色街乙女のストーリーの元になったのは、新型コロナの給付金が性風俗事業者に給付されなかったことだ。理由はいろいろあるにせよ、こういうところから差別が生まれるのだなと感じた。現役風俗嬢が身近にいる人間として、とても悔しい思いがした。私は彼女たちを、そのままの人間として見ている。

「心の底では風俗嬢として蔑んでいるが、無理をして平等に見ようとしている」わけではない。本来は、こういうことに言及すること自体が差別かもしれない。しかし、私の意識のなかではそうではない。

私がかかわった風俗嬢のなかには、夢があって、そのための学費なり、PCなどの購入資金にあてたい、そんな人がいた。よくある学生のバイトではどうにもできない金額を稼ごう、学業と両立しよう、となると、どうしても効率重視になり、選択肢は狭まり、風俗という選択肢に落ち着く。

「抵抗がなかったの?」と聞くと、意外に抵抗がなかったと答える人が多い。思いのほか多く聞くのは「興味があった」という答えである。

私も「なぜ音楽をはじめたか?」と問われれば、興味があったとしか言いようがない。その理由をさらに突き詰めても、やがて思考は循環してしまう。

私は風俗嬢の権利向上を願った。しかし違うようだった。友人は権利向上より意識改革だといった。そうかもしれないと思った。私が抱いている感情は義憤かもしれないし、偽善かもしれないし、ただの自己満足なのかもしれない。ただ、性風俗で働いているがために、社会的スティグマとされ、闇に押し込まれる、そんな時代が来てはいけないと思った。



伝えてみたいこと

場合によっては、女性を食い物にしていると思われても仕方がないことをしているのかもしれませんが、そこには自分なりの倫理観があって、それを理解して参加してくれたボーカリストさんがいたり、反応してくれる方々がいることに感謝しています。

正直、最初は色街と乙女という相反する言葉の組み合わせが面白いと思ってはじめたことなのですが、体感したり現役風俗嬢の話を聞くうちに、それだけでは済まなくなってしまいました。

彼女たちは、意外にあっけらかんとしているんですが、やっぱり人によっては、傷ついていることを一種のテクニックで凌いで、普通を装っている人もいるように思いました。

そこに感情移入しすぎると、哀れみの感情が出ることもあり、でもそれが出ると風俗嬢を不当に差別している気がして、複雑な気持ちになることもありました。惻隠の情も、ゆきすぎると人を隔離することになります。

性風俗に従事するということが、女性にとってどういうことなのか、知りたいとずっと考えています。2019年の11月から現在まで取材を続けているのですが、この件についてはずっと考えています。

自分自身まだ客観視できていない部分があり、なにを訴えたいのか不明瞭な部分があるかと思います。もはや人生のテーマといっても過言ではないくらい性風俗の世界に浸かっているので、いつか必ず自分なりの結論を出したいと思っています。

こういう話は、書くべきか書かざるべきか迷いましたが、音楽では表現しきれないことが多かったので、音楽をやるものとしては敗北ですが、書くことにいたしました。

お読みいただきありがとうございました。