STORY
1999年に改正風適法が施行されて以降、派遣型風俗店の台頭は目覚しかった。
2回目の東京オリンピックを終え20年が過ぎた頃には、都内の雑居ビルの多くは風俗店事務所で埋め尽くされ、無許可風俗も際限なく増え続けていた。いわば無法地帯という状態であった。
違法風俗が増えた背景には、ある病原体の存在があった。
東京を中心に蔓延した病原体の影響で経済的な打撃を受けた事業者を支援するために、事業の継続を支えるための給付金が設けられた。
しかし、性風俗関連の事業者だけは対象外にされたのだった。
尊厳を無視された形になった事業者の衝撃と失望は大きかった。
「適正に納税し、反社会的勢力とも関係がないにもかかわらず、国は守ってくれない」
法に則って営業をすることに、意義を見出せなくなった事業者は多かった。
「自業自得だ」「差別されることくらい覚悟して働けよ」
SNSには風俗嬢に対しての厳しい意見があふれた。
違法風俗の氾濫について世界からバッシングを受けた政府は、公文書データの改竄と捏造、削除と抹消、ありとあらゆる対応策を打ち出し、上っ面だけでも劣悪な状況を隠そうとした。
その裏で極秘に違法風俗の段階的な浄化作戦を開始したが、金銭授受疑惑や不祥事が相次ぎ発覚し、すべてはことごとく失敗に終わった。
危機感を抱いた政府は「本当の先進国であるため」という理由のもと、治安を守り風紀を統制するべく、2050年「新改正風適法」を施行した。
それは、セックスワーカーを不当に差別する歴史の始まりでもあった。
派遣型風俗店は禁止され、東京のとある街に巨大な色街が形成されることになった。
性風俗で働く女たちを識別するため、戸籍情報に*記号が付加された。
それは、性風俗で働くものに未来永劫残る烙印を押すようなものであった。
性風俗業界は遠い昔のようにふたたび閉鎖的となり、外の街の差別に晒されることのないよう「色街で生まれた女は、色街で育ち、色街で一生を終える」それが不文律となった。
西暦2073年。
色街で働いていた女を親に持つ4人が自らの出生を明かし、不文律を破り、色街を出て人生の悲哀を歌う。
それが色街乙女である。