渡そうとしていた手紙

3rdシングルで男がお気に入りの風俗嬢さんに渡そうとしていた手紙の本文です。


 恋文ではありません。感謝の手紙です。わたしが直接あなたに何気なく話したことと重複している部分があるかもしれませんが、文章という体裁で伝えたいため、それについても言及しています。

 2073年の1月7日の土曜日、15時。わたしははじめてあなたに会いました。ふと興味を持って生まれてはじめて入った風俗店で、あなたに会いました。はじめは「自分のタイプじゃないけど、整った顔をした子だな」と思いました。でも、いまはあなたの顔がタイプです。タイプなんて簡単に変わってしまうようです。

 はじめは3回くらい会って、終わりにしようと考えていました。でも2回目に会ったとき、これはもうダメだなと思いました。3回では終わらないと思いました。それからはずっと、あなたのことが頭から離れず、数を重ねてゆきました。ひさしぶにエッチなことをしたから、惑わされてそんな気になっているだけだ。あと2週間くらいすれば醒める、と自分に言い聞かせていました。しかし、それは成功しませんでした。結局、会ってからの1年間、あなたのことを考えなかった日は一日もありません。まるで恋文のように読めますが、気のせいです。

 起業した会社の運営に関してアドバイスを聞いたり、いろいろな提案をしてもらったり、あなたの助言がなければ、いまの会社は存在しません。運営をし始めた頃、わたしは双極性障害のうつ状態にあって、運営がうまくできるか不安な状態でした。しかし、あなたに早く業績が上がった報告をしたいという一心で仕事をしたことで、うつ状態は軽快してゆきました。

 あなたが興味を持つことのなかで、自分ができることを探し、挑戦して見せたり聞かせたりする。わたしはずっとそれだけを考えてきました。それで喜んでくれるあなたを見るのが、とてつもなくしあわせなことでした。そのおかけで、私のうつ状態はどんどん軽快してゆきました。つまり、あなたはわたしの人生そのものを救ってくれたのです。感謝してもしきれません。

 できることなら、わたしはこれからもずっと定期的に会いたい。でも、あなたはいつ辞めてしまうかわからない。どこかの店に移籍してしまうかもしれない。あなたと二度と会えなくなるかもしれない。それを常に不安に思っています。

 あなたの住む街、わたしの住む街、いまいる色街。わたしたちがどこかでバッタリ会う確率は、調べたところ360兆分の1だそうです。宝くじの1等が当たる確率とは比べ物にならないくらい低い確率です。つまり、無理ということです。

 本当は、辞めるときがあれば、店を移るときがあれば、教えてもらいたいと思いますが、それにはいろいろと都合が悪いこともあるでしょうから、望むことはしません。と、一度は書いたのですが、カッコつけていました。すみません。わたしに知らせてください。教えてください。それが本当の願いです。

 あなたに会えなくなっても、春には早くも暑がるあなたを思い出し、夏には夏の悪口を言うあなたを思い出し、秋には袖のほつれたカーディガンを着たあなたを思い出し、冬にはあなたのつめたすぎる手に驚かされたことを思い出すでしょう。

 〇〇〇さん。あなたの本当の名前は知りません。ですが、この名前を忘れることは永遠にないでしょう。言いたいことはまだありますが、まさに恋文になってしまうのでやめておきます。出会いは簡単なようで難しいですが、別れは難しいようで簡単に訪れます。

 わたしは、あなたと一緒にいる時間以上のしあわせを知りません。


 気づいているかはわかりませんが、十回目、二十回目、三十回目という節目に、新しいことをしてきたつもりです。そこで、四十回をこえたところで、この文章をしたためることにしました。

 わたしはプライベートで、はじめから距離感をゼロにすることが多く、たくさんの出会いをうまくいかせずに失敗してきました。だからあなたとは、少しずつ距離を縮めて、よりよい関係が築けるように慎重に接してきたつもりです。

 ふと、あなたと初めに会ったとき、話だけで帰ったらどうだったのかと思うときがあります。そうすれば、あなたが答えにくいことも、語ってくれたのではと思うことがあります。

 わたしはあなたのことが知りたいのです。住んでいる場所や、連絡先が知りたいのではありません。あなたが、さまざまなことに対してどう考え、どう理解し、どう接しているか。なにを欲し、なにを望んでいるか。また、なにを嫌い、なにを嫌がり(たとえばこの文章を読むのが嫌だったり)、なにを心に秘めているのかを知りたいのです。

 人を知るというのは、とても有意義なものであると同時に、場合によっては衝撃的で、聞かなければよかったという後悔にとらわれることもあるでしょう。

 最初に会った頃は、仲良くなりたいという気持ちが先にたって、あなたを知りたいという気持ちは抑えられていました。仕事の性質上、聞かれたくないことも、知られたくないことも多いだろうと考え、いまでも質問は最低限にとどめています。

 しかしいまは、あなたをことごとく知って、積極的にあなたに幻滅してみたい。ときどきそう思います。幻滅してはじめて、あなたの人となりが、本当の意味でわかるような気がしてならないのです。そしてあなたの本当の魅力的な部分が、見えてくるような気がしてならないのです。

 名刺が百枚そろう頃には、いまよりあなたを、知ることができているでしょうか。


 もしあなたと、いつも行なっているのと同様に、快楽を目的とした行為をすることに飽きたとしても、わたしはこの場所にふたたび来ると思います。それはあなた以外の別の女の子と遊びに来るという意味ではなくて、誰ひとり代わりのきかない、あなたに会いに来るということです。あなたとふたりきりで、手の届く距離で会話をするために来るのです。まだあなたと話したいことがたくさんあります。話せば話すだけ枝分かれしてゆく、終わりの見えない会話を存分にしたいのです。

 先日お話ししたように、私は死を意識したなかで(急性腎不全)、ここに来たい、ようするにあなたに会いたい、そうこころから思い、また願いました。わたしは不思議と死という事実に恐れはありませんでしたが、会話をしたい人と二度と会話ができなくなる可能性に意識が及んだとき、とても怖く思ったのです。たとえそれがわたしの歴史をすべて背負って生まれた結果だとしても、とても承服できるものではなかったのです。それは恐怖というような、なまやさしいものではなく、もっと差し迫った焦燥のような、手足を出したくても従わない、こころの塊のようなものだったのです。

 わたしが快楽を目的とした行為をあなたとすることに飽きたときは、おそらく、女友達の前でわたしがするように、あなたの前でも余計な体裁を繕ったり、実質以上に自分をよく見せようとはしなくなるでしょう。いまはまだ、あなたによく思われたい、よく見られたいという気持ちがあるのは間違いありませんが、そのころにはそれがなくなって、厭らしさや、汚らしさがにじむような、素の自分でいられるようになっているのではないでしょうか。そのときになってやっと、深い実感を持って、あなたのことを風俗嬢ではなく、わたしの人生に欠くことのできない大切なひとりの女性として、考えることができるようになっていると思います。いまでもそう思っていますが、それとは比較にはならないほどにです。

色街乙女™ Official Website

色街で生まれた4人の乙女。 烙印を背負いながら人生の悲哀を歌う。近未来遊郭アイドル。